人間の道徳心と成長。

安倍内閣で道徳教育の強化が進められていますが、根本的には家庭や学校や社会での会話の減少が一番の問題と思います。 

学校での道徳教育の場では実は答えが決まっていて、その授業の中にお互いの人格を尊重した議論の過程が存在していないので、議論に伴う責任が発生しないことが問題です。 

人間の道徳心や成長は躾や環境からだけではなく、議論の末に考えた熟慮と自分自身への反省からも生まれるもので、子供の人格を尊重した状況で親や先生や友人と会話をする中で生まれる反論を許容する中でも実は育っているものです。 

子供は相手が自分の人格を尊重している事を認識すると、決まった結論以外の自分の思いや考えを率直に発言するようになります。 

よく聞いてこちらの考えを述べると『そうゆう考えもあるのか』と不思議に沁み込んで行くもので、そこから自分の考えと照らし合わせていった時、そこには熟慮と内省が芽生えています。 

娘が高校生の時に『お父さんはお客さんに説教をしている、商人としては失格では? 嫌われて売上を逃がしている』と言われた時に『仕事を通して社会を変えることも大切では?』と言うと『それは行政や政治がすることでは?』と言うので『これは政治や行政がやってはいけない事』と言って、理由は大学で勉強しながら考えてとお願いしました。 その間に何度も『これかな?』と言われても『お父さんの考えは違う』でしたが、答えが一致したのは六年位経過した社会人になってからで『ファシズムになるから』でした。 

戦争中の日本の状況を想い出すと理解してもらえると思いますが、あの当時は違う思想を持つと非国民と言われ拷問や監獄でした。 

親や先生や上司の一方通行の話は対話ではなく、お互いの人格を尊重した会話を家庭や学校や友人と持つことが対話で、そこから自分以外の人間が持つ考え方への理解や、公共と私心の境界を考える事には繋がります。 

現代社会はすでに出来あがった社会や学校の集団秩序に子供や若者が合わせる事を強要する傾向がありますが、それでは自分自身が属する集団をより良くして行くという積極的な気持ちが湧いて来ないものです。

たとえ自分の子供でも、一人の人間としての人格を持って生まれてきていることを尊重して育てることが、子供の道徳心を育み成熟に導くことに繋がっていると思います。

『隗より始めよ』という言葉のように、まずは家庭からそして学校と社会に広めるようにしたいものです。

人間の成長と社会の活力の源は、お互いの人格を尊重した会話から始まっていることを大人自身が自覚することが若者の道徳心を身に付けることに繋がり、結果として若者そして社会の活力に繋がると私は思います。