ストーカー事件。

人間にとって誕生後に見たり触れたりする外界全ては初体験の異物で、その異物は自分に危害を加えるかもしれないものとして認識する所から始まっています。 

どの動物も自己に危険なものへの反応として牙を剥きますが、人間にも本体的に備わっているのが嫌悪と憎しみです。 この憎しみは愛に先行しているとフロイトが述べていますが、愛は後天的なものとも言っています。 

特に愛の始まりは思春期の性的欲望が始まった時に強くなり、幼児期の自我(自己愛)から発展して性的魅力対象を自分の自我へ取り込みたいと強く欲するようになります。

そしてその対象がもたらす魅力から受け取るものが『快楽』になりますが、女性だけでなく物だったりゲームだったり芸術だったりします。 

つまり思春期に移行する頃に自己愛と合致する快楽が、その人にとっての思春期の『愛』です。 

しかし実はストーカーになるような未成熟な人は『その愛は自分に快楽をもたらしてくれるので、元々の憎しみのリストから外して愛のリストに変換している』というような作業をしている所が危険をもたらしているのです。 

つまり自分の愛する対象が自分を拒絶して、自分に不快を与えだすと元々の憎しみが倍増して暴れだしているのです。 生まれてから成長するにつれて外界への働きかけは、人間の成長にとって必須のものですが、その行為には常に苦悩や不快を伴います。

成長過程で挫折や忍耐を経験し、この不快さの克服を繰り返しながら成熟へと進むのが正常過程です。

しかしこの不快の克服作業をあまり体験できない育ち方をすると、精神状態が幼児から大人に脱皮ができないで、体だけ大人になってしまいます。

社会に出てからは自分の欲望の対象を取り込めない事の方が多く、努力して達成したり、できない事を受け入れたり、のどちらも出来ない未成熟な人は、自分自身の責任をその対象への憎しみに倍増し転化する傾向があり、そんな人はストーカーになる危険性を持っています。 

豊かな時代の現代病みたいなものですが、嫌悪や不快によって生まれる憎しみをコントロールする能力は、成長の段階で不快の対象や思う通りにならない物事を相対的に捉える訓練と忍耐で身に付いて行きます。 

最近は交際中の相手を自分の所有物(玩具)のように捉えたⅮVも劇的に増加していますが、これもナルシシズム的自我から抜けられない人達で、ストーカー心理と同じです。

これは精神的DNAの遺伝もありますが、育った環境の文化的なものも非常に大きいので、親は子供に無上の愛を与え・失敗からしか学べないと失敗を容認し・思うにまかせぬ物事を克服した時の充実感の喜びを実感させるように見守って育てることが子供と自分自身の人間としての成熟に繋がると思います。

ちなみに私は妻と娘に『どんな相手でも、選んだ方にも半分の責任がある』と囁き続けています。

憎しみは『両刃の剣』で自分自身も傷つけますので、『愛』に先行した『憎しみ』克服の努力をする方が、楽しく充実した『真の快楽』の人生が待っていると思います。