呪い。

ここまで生きて実感する事は『傷のない家庭はない』です。 しかし、その傷を受容して生きる人と、他人の責任や気付かないふりをして放棄する人の分かれ道が、その人のその後の人生を変える要素になっています。

そしてその傷の大きさと深さの違いは『弱者への優しさ』が有るか? ないか? のようなその人の日常の行動と繋がっています。 

子供や老人や非正規社員やパートは社会的には弱者ですが、弱者に優しい人は強者でも理不尽な人には毅然としていて、弱者に高圧的な人は強者に迎合的な傾向があります。 

物を買う時でも『売り手の人格まで買った気持ち』になっている人は、逆の立場でお金が欲しい時には『自分の人格を平気で売る』と思います。 

長い人生の過程で伴侶との葛藤や子育てや親の介護などを通して、それぞれの立場で弱者や強者と向き合い続けているのが人生で、その中身全部がその人の人間性です。 

人は誰でも弱者として生まれて来て、弱者として老後を迎えるのですが、若く健康で元気な時にはそのことを忘れがちです。 

子供が成人してから強者になった時に、弱者になった親に対してどう振舞うか? その時の答えの原点は、弱者の時の子供に対して親として自分が子供にどう振舞ったか? に有ります。 

先日も長く来店しているお客様が高価な贈答品を定期的に買うようになったので『誰にあげているの?』と聞くと『母の面倒を見てくれた姉に』と答えたので、『お母さんが元気な時に、自分がしなかった懺悔?』と聞くと、『図星、その通りです』と答えていました。

親のような当たり前に存在していたものほど、失って初めて気付くお金では償えない大切なものを思い知ります。

人にはどんな言い訳をしても自分を欺くことはできず、例えば夢に出てきた時にどのように解釈するか? はその人のみが知る真実の過去が決めています。

弱者に優しくしていなかったり、自分を粗末にしたりしている人は『自分で自分に呪いをかけて』しまうことになっているのです。

人にかけられた呪いは人に解いてもらえますが、自分が自分にかけた呪いはちょとやそっとで解けない怖いものです。