真理への登山口が違うだけ。

仕事をしていて一番の喜びは、何気ない会話の中から滲み出るその方の人間性の深さに触れた時の喜びです。 

何事に対しても双方向で考え抜いている人の言動は、主婦の方でも家族への思いやりや慎みが自然と伝わって来ます。 

人への好奇心が強い私は、三十年位前に六花亭が札幌に出店し始めた時の店舗・店員の様子を見て、経営者に会ってみたく手紙を出しました。 

三度目の手紙後、初めて電話が有り『某日正午から一時間だけ都合がつくので、帯広本店に来られますか?』と電話が有り、『はい、必ず行きます』と答え、訪問しました。 

会いたかった目的を聞かれ『店作り・人創りを創造した人を知りたいと思いました』で始まり、一時間お話を聞き約束の時間なので『失礼します』と言うと、『お昼をご馳走しよう』と言われて寿司をご馳走になり二時間ほど話しました。印象に残っているのは『あなたの敏感な感受性は両刃の剣(宮本武蔵に例えて)です。その敏感さの殺気みたいなものを鈍感なものに包み込みこんで消さないと、あなたの事業を大きくできません』と言われました。

私は正直に『社長さんの人間性に触れたくてきたので、事業を大きくするヒントを求めて来たのでは有りません』と答えると、笑みを浮かべ肩の力を抜いた家族や修業時代や帯広千秋庵から独立して六花亭にした経緯などを話してくれました。

帰りにお土産に十勝日誌を戴き、社長のご厚意で帯広空港まで社員の方が送ってくれました。

それからお亡くなりになる迄、年賀状だけのお付き合いでしたが、中身の濃い三時間の話は今でも鮮明に覚えています。

人間は例えどんな職業に就いても、ひとつの道を真剣に考え抜いて極めた人は、登り口が違うだけで宗教の真理と同じ所に到達しているのだと実感しながら帰って来たのを想い出します。 

娘が高校生頃に、六花亭の社長から年賀状が来る理由を聞かれこのエピソードをした時『お父さんの好奇心は、お子ちゃまのままだね』と言われ、その後は何かにつけて娘と妻に『お子ちゃまだから』と言われています。