幸運のドアーと不運のドアー。

不況の中『就職への意欲は高い』のですが『労働への意欲が低い』人が多い事もデフレ脱却の難しい要因にもなっている気がします。 

三年以内に四割位が転職する状況は企業のコスト増にも繋がり、戦力になる頃に辞められるのでは、派遣社員に傾くのも雇用者側には道理です。 

転職情報誌の手口も『あなたにふさわしい仕事を』と煽る事が、情報誌販売増の利益に繋がる道理で、同じ仕事をして正規と非正規で所得の大幅な違いの格差社会など、会社も個人も自分達の都合を優先したエゴが複合的に絡み合った果ての格差と不況です。 

周りの成績が落ちれば自分の偏差値が上がるエゴな仕組の矯正をしないと、努力に比例する勉強の世界から、努力に比例しない仕事への不満は必然です。 

そして職場と社会には個人それぞれの仕事以外に、公共の仕事が存在し『誰かがやるだろう』と思う人が多くですが、そんな仕事も見過ごせずに『やる』ように育つ家庭の減少が社会の活力が落ちた要因でもあります。 

労働への意欲は勉強や就活と違い、自分だけの為ではなく誰かの為という使命感なしには持続しません。 

誰の人生にもある幸運と不運を多くの人は落ちてくるもののように考えていますが、『運』は運ぶという字になっているように、実はその人の人間性が運んでいるものです。

幸運のドアーには取手が付いていないので、本人には見えない内側からジッと見ている誰かが開けてくれないと開きませんが、誰の仕事でもない不快な状況を黙って処理している人に幸運のドアーを開けてあげる大人も減っている悲しさもあります。

取手が付いていてドアーは欲望次第ですが不運のドアーに繋がっている可能性も多々あり、犯罪者は過剰な欲望を制御できない人が多いと思います。

不運のドアーに手をかけるのも、幸運のドアーを開けてもらうのも、履歴や外見からは見えないその人の人間性が決め手になっていますが、肌のシミのように沁み込んだ人間性は『咄嗟の時と誰も見ていない時』に出る恐い大切なものです。