誰でもいい・・犯罪者

近年増えた無差別殺人犯人の『誰でもよかった』という言葉に、救いようのない孤立と孤独を感じています。  

そのような人の心は閉ざされていて、自分の望む意見しか聞き入れないので、実は自ら孤立と孤独に追い込んでいます。 

『誰でもいいから聞いて』と言う人の心も閉じていて、本当に救いを求めている人は自分を救ってくれそうな人に『私の話を聞いて』と問いかけると思いますので、『誰でもいい人』は実は『誰でも駄目』な人なのだと思います。

攻撃も救いも特定の人を標的にできない社会になってきている所に、現代社会の病理の深さが有ります。 

しかし攻撃は攻撃すべき相手に攻撃しないと事態は改善されないし、そして攻撃にはそれに伴う責任が自分にも帰ってくるので、その責任を果たす覚悟も必要ですが、その覚悟から相手との繋がりも生まれてきます。 

誰でもいいから』と言う人は、実は他人を受け入れず突き放していて『他人を軽蔑している』人なのだと思います。 それではどんな人からの敬意も受けられず、孤独と孤立はより深まり負のスパイラルから抜け出せず、アリ地獄に落ち込みどんどん駄目な自分になって行くと思います。 

私は素晴らしいと思う人に出会うと、疑問をぶつけ『教えて下さい』とお願いし、真似をして生きて来ました。 

三十代の頃会ったこともない六花亭の社長・小田豊四郎さんに手紙を書いて面会をお願いし、三度目に電話が来て帯広まで行き一時間の約束がお寿司をご馳走になって三時間のお話になり、その後の人生の中で自分の欠点と長所を俯瞰的に眺める余裕を獲得することに繋がり、私のその後の人生の節目に本当に役立ちました。 

孤立や孤独から脱却して『充実した生』を獲得するためには『他人を尊敬する』ところから始める事が一番大切なことで、それが社会生活の基本と思います。