グレーゾーンで

今年で六四歳を迎えますが、最近は気が付くと自分自身の人生を振り返っていることが多くなりました。 

行商から始め無我夢中でその時を過ごして来た過去を振り返って、その余裕の無さで沢山の人を傷つけてきたことも時間の経過と共に思い知らされています。

妻や娘はもとより、身近な人やお客様にも直截的な物言いで目の前の出来事を白黒つけて走って来ましたが、そこに相手への配慮が欠けていたのでは? と反省の日々です。 

先日も娘に言われたのですが、『何事もグレーにしておくことの大切さが、相手を尊重する事にも繋がっているので、私は最近改めている』と言われ納得させられました。 

人にはそれぞれの立場や事情があり、その状況により白黒の答えも違ってくるのですが、私はその時の社会的状況と自分の判断だけでものを言っていて、相手の状況への忖度が足りなかったことに思い至ります。  

娘から『お父さんの子として育ったので、何でも白黒をつけてやって行く習慣が身に付いてしまったけれど、それに伴うお互いの人間関係におけるマイナスも考慮すべきでは?』の、お叱りに本当に教えられた思いでした。 

家を出て結婚して社会人としての生活も一〇年を過ぎ、親も自分も客観的に見て判断している事も含めて、もう老いて子に従う時を迎えている事を実感しました。残りの人生の中で、どこまでグレーな状況を受け入れて維持し見守っていけるか? 私自身への宿題として努力して行きたいと思っています。 

社会性を持つ動物として、グレーゾーンは必須なものと受け入れていかないと、高齢になった時に孤立した状況になりますので、その宿題を抱え続け身に付け、枯れた境地を目指して行きたいと思います。