私は音楽なしでいられない方で、店頭でいつも流していますが金銭的には豊かでないので、江別の情報図書館から少しづつ借りてきてパソコンに取り込み、それをUSB5ギガに入れるとアルバムが130枚位は入るので、クラッシク全般・モーツアルト・ジャズと歌謡曲の3つのUSBに分けてアンプに入れ替え愉しんでいます。
昔の歌謡曲CDを借り自分好みに選曲してパソコンでオリジナルのCDを作り聞いていると、甘く苦い過去を想い出します。
昔の曲を聞くと、その時代の自分達の出来事を想い出し娘の成長過程の喜びや悩み、その時代の金銭的・肉体的苦悩や希望や不安なども鮮明に蘇るもので、自分の人生の明暗が時代の歌の中に織り込まれていて、その時代の世情なども想い出されます。
加齢と共に機能的に失われて行くものが増えるのは必然ですが、人生を前向きに進め豊かにする為に『あんな時もあった』との確認作業は大切な事で、加齢を受け入れるひとつの手段です。
歌詞の中身も、若い時には気が付かなかった言葉の意味の深さに気が付く時、加齢と共に過ごした人生経験を思い知ります。
『親の歳になって、親の気持ちを知る』に似て、山口百恵の秋桜(コスモス)を聞くと私の母・妻・娘のそれぞれの立場を思い計って聞いている自分がいて、家族の絆の大切さを思います。
若い時から店頭で目上の人達と接する機会が多かったので、実体験を通しての歳を取ることの歩みを肌で感じて参りました。
そこから学んだことは、若い時の過ごし方で一番大切にしなければいけない事で、老いた時に想い出して後悔しないような選択を心がける事でした。
それは同じように老いている人でも、いい想い出を沢山持っている人が幸せそうに見えたからです。
逃げ出したい程の不安な状況の時も、守らなければいけない家族が背中を押してくれた決断が未来と自信に繋がっていたと思います。
いずれ迎える終わりの時に、いい想い出と音楽に包まれながら『まあ悪くない人生だったかな』と思いながら自分の死を迎えたいと思っています。
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