真のエリート育成。

親の階層とその子供の向上心が比例することは教育社会学研究では世界的常識です。

家庭の文化的違いが子供の向上心の違いにも結び付き、階層の固定化が進むので、環境と言う負の遺産を改善してから教育の『機会の平等』を進めるのが実は手順です。 

ゆとり教育は甘えから来る『結果の平等』でしたが、結果の平等は意欲の低下になるのは必然です。

日本の子供達の学力低下は国際競争力低下に繋がりますが、それ以上の弊害は基礎学力を身につける為の忍耐は緻密な議論を積み重ねる知性にも繋がり、自己主張や批判的態度や自己犠牲的精神にも繋がっていることです。 

学力を含む人間の意欲の源泉になっているものは、個人の心の中や社会環境にあるのではなく、各人の生育環境とその過程での環境変化の影響を一番多く受けると私は思います。(その実例ニュースに出生時取り違え事件の学歴格差が有りました)

結果の平等を求めた社会風潮の裏には学歴貴族への親の過度な反発心情でしたが、そのような家庭環境で育った子供達が起こした行動は『努力の拒否』で、そこに自己肯定感を見出している事が教育統計調査の結果に出ていました。 

今は全てが自己責任と言う時代ですが、学生の間はともかく社会人になれば知識も人間性も含め問われます。 

義務教育以後も即戦力と、お金になる専門教育にシフトしていますが実は人間は考える葦です。 

大学もその傾向が進み、昔のような教養教育がおろそかになり、誰もが同じ人間としての考えに到らず、国民のことや社会の底辺の人達のことを考える真のエリート育成に繋がっていません。  

学歴貴族のお金や地位への嫉妬より、思想や哲学などの教養を獲得した真のエリートが国富の為に必須と国民が認め尊敬する視線がエリートの国や社会を背負う気概を育て、下村治さんのような国民経済を推進する人間になると思います。