階層化。

格差社会と共に潜在的な形で進んでいる『階層化社会』の方に社会の活力低下の怖さを思います。 

憲法では職業選択の自由を謳っていますが、現代の状況を注意深く見ていると階層の固定化の現象が多く見られます。 教員の子供は教員にしかなら(れ)ないような、政治家の子供は親の地盤を譲られて政治家になる(なりたがる)、俳優の子供は俳優に、芸術家の子供は芸術家に、又は親の関連した業界の職業についている人が異常に増えています。 

家族の親が子にそう仕向けることも有るかも? という問題を越えて、どこか無意識的に進んでいるのが現代社会に共通しているように思えます。 

この階層化はその過程で強固な文化的なものも血肉化されてしまう為、育ちの違う文化的摩擦による離婚の増加を生む要因も内包しています。 

家庭内暴力・家族間犯罪の凶悪化・実子を餓死させる・女子高生の金銭目的の性行為の増加等も、この高度化社会の階層化と繋がっている気がします。 

そしてこの階層化で底辺に落とされた人達の不満や怒りが無差別殺人の増加になっています。 

建前では『職業選択の自由』と謳いながら、社会の裏側で差別に近い区別は厳然と存在していて、家賃の高い東京で機械のように休みなく働いて時給千円の状況をテレビで見た時、まるで尻に火を点けられて走らされているように見え、社会の末端で働く能力しか身に付けていない人達も階層化の現状を爆発寸前まで黙って受け入れています。 

雑用係は雑用係にしかなら(れ)ない、そこを突破する為の思考と意欲を持っていた飢えの時代は過去の事で、無気力な引き篭もりや鬱病・自殺の増加も、全てが無意識化した階層社会の連鎖の結果のような気がしてます。