迷い葛藤が大切。

最近の建前は白で、本音の黒を触らないようにする風潮の中に、思考の単純化と人間としての厚みの喪失を感じています。 

マスコミ報道の単純化が国民を蝕んでいるのか? 全てが魔女狩りのようで、自分が被害者になった立場を想像していない人の増加が日本の大人減少に繋がっている気がします。 誰の心にも邪悪さや慈愛はあり、その割合の違いがその人の人間性と思うのですが?

人は悩み・迷い・葛藤を迫られて選択する時に自分の中にある邪悪さや善意の『量や範囲』みたいなものを自覚させられますが、その苦悩なしに人間としての成熟に近づくことはできないのでは? と思います。 

昔娘が就活で苦しみ答えらしきものを摑んだ時『人は真っ黒と真っ白半分で生まれて来て、以後の環境で黒が増えたり白が増えたりするのではないか? そして誰の心にも小さくても黒も白も残っていると思う』の言葉に教えられました。 誰の心にも善の中に隠れている悪は存在していて、その片隅の自覚で『心が揺れ』躊躇した時間が成熟に繋がります。 社会に蔓延したいじめ・自殺・家族間殺人の増加も同一人物の中に有る善と悪を提示し考える事を避け、善悪・白黒で決着する傾向も一因でしょう。 

不況から弱者に落とされた若者が惹かれる太宰治も、人が隠す人間の弱さを正直に吐露した感受性溢れる文体にあると思います。 

正しいことだけ報道する新聞、人の不幸ばかり報道する週刊誌、どうでもいいことを垂れ流すテレビも『これでいいのか?』という『心の揺れ』が欠けた幼児的な資本主義化です。 

多様な解釈の増加が社会全体を暖かい厚みのある風通しのいいものにして行き、少数意見を尊重するのが民主主義で、それが住み良い社会に繋がると思うのですが?