煩悩。

人間の煩悩やストレスの源は欲望ですが、これが実は矛盾していて『堂々巡り』になっています。 

貧しければ富を願い、富めば失うことを恐れ、富も地位も手に入れると名誉を求め、美形や不治を願い、手に入れるたびにまた失うことを恐れます。 

一般には死を生の延長として捉えますが、生きながらも常に『死から生を眺めて』生きると捉えれば全ては失って去るもので、生に必須なものは人間の生存の為の三食と健康な生活に回帰します。 

しかし死から生を眺めて生きることは、必然的に大切な人との別れや病気などの苦悩も視野に入れて生きることに繋がります。 

人間の死への怖れは、大切な人との別れの悲しみが恐れの感情として湧いてくるせいのような気がします。 

宿業的に悪を身につけてしまった人の悪と、悪いと判っていて悪をはたらく人と、自覚している悪を抑制できる人の違いは有っても、誰の人生においても自我の崩壊点に追い込まれることはあります。 

シベリア抑留経験者三人の凄惨な経験談を聞いた時、私も同じような醜いことをするのだろうなと思ったことを覚えています。 

お金の話で誰もが共通して言う『お金は有って良い事はあっても、邪魔になる悪いものではない』という言葉への不信は、持つことでその人の人間性が変化する事が実は忘れられています。 

幸運から傲慢になり不運を招きいれるのが人の常で、逆に不運を受け入れ背負い幸運に繋げている人は少数です。 

若い時は欲望と自我を旺盛に生き、返り血を浴びて痛みを知り、その痛みを他者への配慮に活かしても訪れる突然の自我の崩壊点でもがく非日常を迎えた時に、ありふれた日常の煩悩と共に生きた幸せを人は初めて実感します。