自分の居場所。

複雑化する社会状況の中で、個人では反論できない建前の言葉で埋め尽くされ開き直れない『弱さ』に怯えている人の増加を実感します。

そして会社や家庭で自分自身の存在理由に確信を持てない人の増加は子供達にも確実に波及していて、誰もが自分を安心して委ねられる居場所を失っている不安の蔓延も伝わって来ます。

マスコミの魔女狩りのように、誰かを責めることで自分の正当性を確認するような行為が家庭でも職場でも行われていますが、その後に待っているものは『次は自分が責められるのでは?』という不安です。 

その不安を打ち消す為に、本音を隠して周りに気を使い建前を飾っていると、その自分の弱さに怯え続けた果てが鬱病か免疫力の低下で病気です。 

『不機嫌な職場』という題名の本が有りましたが、今の職場に蔓延している『自分の義務と責任を最小にして、自由と権利を最大にする』日常が書いてあります。 

相手の義務と責任を反論できないエコやみんなの為のような抽象的な正義の言葉で押し付け、自分を正当化したうえで自分の負担を減らす卑怯なやり口です。 

そんな人の増加が家庭や社会を破壊し続けるのを止める為には、相手の建前論に潜む狡猾な本音を優しく正す知力が現代社会には必須になりました。 

議論に巻き込み、その議論に伴う責任を相手にも発生させるように持ち込む為の知的体力を失ったのはテレビ等の受け売りで深く考えなくなったためです。 

学問はお金を稼ぐ為ではなく、どんな環境でも生き抜く為の思考訓練として捉える時期を迎えています。