存在欲求と所有欲求。

様々な人に会う仕事をしていると、年代による固定概念の違いを感じます。

バブルを経験していない二十~三十代の人達は、過去の好景気の再現を信じていませんので生活設計は堅実です。 

しかし四十代以上の人達は何処かで再現を政治に期待しているように思います。

戦後の奇跡的な経済復興を成し遂げた日本に対して米経済学者が『ルールが変わった事実に最後に気付くのは、前のルールの勝利者だ』と指摘したように、四十代以上の人達はバブルのような景気回復を期待しています。 

逆に三十代以下の人達はルール変更以後の社会が続くと思っていて、どちらも固定概念に縛られています。 

誰か忘れましたが、人間の欲求には豊かさが実感できる『所有欲求』と、人間同士や人間と自然の調和・共生で心が満たされる『存在欲求』があると書いていました。

上の年代に三種の神器のような『所有欲求』が強い傾向が有りますが、今の若い人達は潜在意識の中に自分達の『存在欲求』が満たされていない苛立ちみたいなものが鬱病や自殺や無気力に繋がっているような気がします。 

日本の工業化は存在欲求を犠牲にして所有欲求を満たして来たのですが、結果は互いの存在意義が危うくなった、家族と社会の人間関係の希薄化です。 

先進国の格差拡大は、充分所有している人達ほど弱者からの搾取で所有欲求を肥大させている結果ですが、これもお金や権力に取り憑かれた一種の病です。 

人は弱い存在で誰かを必要とし、そして誰かに必要とされる事で喜びを感じますが、何事に対してもいずれ我が身との自覚を忘れないで、身近な弱者への配慮を忘れない事が本当の自分の存在意義に繋がります。 

『存在欲求』こそが健全な人間本来の生きる力なのでは? と私は思います。

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コメント: 1
  • #1

    sextelefon (土曜日, 04 11月 2017 01:03)

    reczanin