親鸞。

数年程前、自分の三歳と一歳の子供をマンションに放置し餓死させた二五歳の母親の続報を読んで、虐待や育児放棄(ネグレクト)等の世代間連鎖の恐さを思います。 

この母親は五歳の頃に両親が別居し二人の妹と母親に引き取られたが、母親は外出がちで養育放棄、汚れた服と飼い犬の排泄物の匂いが充満した部屋で育ちました。 

父親は高校強豪運動部の監督で全国的に知られた存在で、父親からも情緒的な愛情がもらえず育つという心に深い傷を負って育ちました。 

七歳の時に両親が離婚してからは父親と暮らし、九歳の時に父親は再婚したが三年で離婚、父も遠征で留守が多く子供達は寄り添ってくれる人がいない過酷な状況で育ち、 中学からは家出や外泊を繰り返し援助交際もしたと有りました。 言葉や行動や倫理観など人間の文化的要素はほとんどが幼少期の環境が決めていて、その時のトラウマ体験と向き合う治療に一番必要なものは『親に謝罪してもらう』ことです。 愛された経験を通して愛し方を学び、親の生き方を見て育つ中で、最初の善悪の基準値ができ、それが社会の基準値より低い場合の社会生活は摩擦の連続です。 

多重人格も同じですが、傾向として日常の『心理的苦痛を直視しない』事を防衛手段として身に付け、『困難な状況になると』ほぼ無意識的に解離的な認知操作をする術を、幼少期に自己生存手段として身に付けさせられるのです。 

健全な環境で育った人が『自分の子供を餓死させるなんて、惨い人』などと簡単に非難できない事情が有ります。

罪を憎んで人を憎まずと言いますが、私は親鸞の『善人なほもて往生をとぐ、いわんや悪人をや』の、宿縁(親を選べない)で悪者になった者こそ浄土に行けるという、本当に深い愛の言葉を想い出しました。