選んだ方にも責任。

私の口癖『選んだ方にも半分責任がある』を、妻と娘に言い続けてきました。 

人生の岐路での選択時に、未来の自分の責任を覚悟して決断している人は少ないのでは? と思います。 

娘が小学五年生時、『お父さん、何の為に勉強するの?』と聞かれ、『今晩の就寝時のお話はそれ』と答えた事とも繋がっています。 

娘への答えは、人間は『幸せになるために生きている』と前に話したけど、人生の岐路で丁度アミダクジの選択のような場面が日常にも沢山あり、その時に右か?左か?でその人の人生は大きく変わります。

勉強は人生の百手先を読む論理回路を作り、人生の曲がり角を損得で間違えない為に必須のもので、辛苦を舐めて獲得する知恵も大切ですが、学問の知識を知恵に変換する方が効果的です。

岐路で迷った時、損得や利害より自分にふさわしい道を選択するために、自分の性格や能力や社会や経済環境なども考慮に入れて、自分の幸せに近い道を選択する論理回路を作る作業です。

生きて行く為の大切な手段である学歴や収入を目的にしてしまっている現代人の不幸は、自分の目的のために他人を手段に使っている所から始まっていると思います。 

私達が結婚して気が付いたお互いの欠点も、『見抜けなかった方にも半分責任がある』と受け入れた時に、相手を責めるのではなく自分の責任と自覚する事が実は未来に繋がっています。 

お金や地位より人の気持ちを優先する人は、人からも同じ返礼を受けられます。

そして目的が明確な人は、手段であるお金を自分に厳しくしても、他人には優しく大切に使います。 

自分の人生で起こる全ての出来事を『選んだ方にも半分責任がある』は、実は私自身への戒めの言葉です。