恋と愛。

年金問題報道の時は遥か遠くの事と客観的に眺めていましたが、二つ年上の女房も今年の四月で六五歳になり、国民年金を受け取るようになりました。

一緒に歳を取って来たせいか? アッという間の思いを実感させられ、結婚して四十一年の年月の速さを思い知ります。

行商を始めた時には将来の生活不安から妻は自律神経失調症に陥り、その後子宮外妊娠で生死の境をさまよった翌年に娘が授かりましたが、母になってからが心身ともに安定したような気がします。 

そんな経緯を経験したせいか? 店舗を持ってから金銭的・肉体的に大変な時でも『女房留守でも元気がいい』と呪文を唱え、卓球と水泳に送り出して来ました。 

放し飼いの野良犬のようにしてから元気になり、食事の時は帰宅しますので、女房の忠犬と番犬の私にも作ってくれます。 

折り返しを過ぎた頃から、過ぎ去った結婚生活の話になると『何度別れようと思ったことか』と言われ続けても『私は一度も思った事がない』とうそぶいて来ました。

そんな私たちを見ていて、娘が中学・高校時代に『早く恋をしてえー』と夢を見ていましたので、娘に恋は錯覚だから結婚する時は錯覚し続ける努力と、選んだ方の責任を背負う覚悟が必要と次のような話をした記憶が有ります。

という字は、下に心という字があるように『下心』でお互いが良い所しか見せないで、相手の好意を得ようするので錯覚する。

でも一緒に暮し年月が過ぎると、お互いの嫌な部分も見えて来て、錯覚から理解に進み離婚になったり冷えた関係で過ごしているのは悲し過ぎるよ! と話しました。

少ない人達だけど、伴侶の嫌な部分も含めて愛している人に会って勉強させられ、そんな人を観察していて気が付いたのは愛に昇華していることでした。

という字の心は真ん中に心が有って『真心』で相手の嫌な部分も包んで接することが愛することだと思うと話しました。

すると娘がサザンの歌の歌詞の中に有ったと言いましたが、

ここからが難しい所で、人間はとかく相手に求めがちなので、気が付いた方が先にその愛を相手に贈与することが大切です。

相手の嫌な部分も含めて承認し愛する行為を続けると、大概の人間は時間差は有っても気が付きます。

そして愛にまで昇華する時間の中で葛藤や忍耐を強いられ、気が付くと自分自身が成熟に近づいて行きます。

そんな娘も結婚した二人だけの生活で、とても生活して行ける金額ではない国民年金の給付額にため息をつく女房に『残り少ない人生、長く生きる事に意味はないのでお金が無くても楽しく過ごそう』と言うと、『そうだねー』と言う目が『あなた次第よ』と笑っていました。 

新聞の川柳に『広い家、中々できぬ仲直り』と有りましたが、お金が有り余ると意外と家族はバラバラになっていて、お金は少し足りないくらいの方が家族が一致団結していて、こちらの人生の方が中身の幸福度としては実は優勢です。