精神にもある? 免疫システム。

今年で三十八年目に入り、長年お世話になったお客様も高齢になり、誰もが何かしらの病気や事情を抱えながらの日常生活の話題になります。

高齢化社会になり、最近は伴侶や家族が認知症やアルツハイマー病になっての大変さや相談も多くなりました。  

核家族化した社会での老々介護には多くの知恵が必要で、心の中にある不純物を吐き出してもらい、ひと時の休息と安堵の癒しになればと配慮しながら、一緒に思案することは私にも勉強になります。 

沢山の方の体験を聞いていて感じることは『認知』の進み方が早い人には、家庭での役割が少ない傾向が有ります。 

逆に高齢でも最後まで認知しない人は家庭の中で自分の役割が有り、家族もその役割を負担にならない程度に配慮し、感謝し褒めて喜びを与えています。  

人は楽をして生きることを望みますが、本当に役割がなくなり何から何まで人にしてもらう立場になると『人に迷惑をかけるだけの、必要のない存在』と思い込むひがみ(自己嫌悪)が強くなり、その苦悩の毎日からの逃避が『認知』では? と思う事が有ります。

昔、多重人格の本を読んだ内容ですが、毎日虐待を受けている一郎がその苦悩からの逃避の為に、自分の脳内に凶暴な二郎、臆病な三郎と無数の別人格を作り出して、虐待の精神的苦悩から逃れ自分を救い維持している趣旨の内容を思い出しますが、別人格の時に犯罪を犯しても本来の自分に戻った時は覚えていないに似ています。

冬山遭難で低体温になると、生命維持の為に心臓と脳に血液の循環を優先し、耳・足・手へ血流を制限し壊死させても生き残る為の人体の免疫システムが精神にもあり、精神的的苦悩からの鬱や食欲不振から逃れるように作用しているのでは? と人間の体と心の神秘の存在を思います。 

より良く生きる為には、その年齢にふさわしい役割をしっかり背負い、多少の苦を調味料にして、趣味やデイサービスなどを糸口に社会や家族と繋がるように努め、頑張った自分に自分で自分を褒めたりご褒美をあげたりも必要です。

私共は自営業なので『女房留守でも元気がいい』と妻を放し飼いの犬のようにし、卓球三十年(週一回)・水泳二十五年(週二回)のデイサービスに送り出しています。

ちなみに私は妻の忠犬と番犬の飼い犬みたいなものです。