分裂病・躁鬱病・神経症。

アベノミクスなどと景気回復を言っていますが、ごく一部の企業以外は閉塞感の漂う社会状況で、そんな明暗の別れた状況になると人間の無意識領域の不安を広告が刺激し溢れ出し、最近は健康食品やサプリメントが特に目にします。

人は健康で元気な時はお金や物への執着を持ち、病気になると全てを犠牲にしても健康になる事を望みます。 

ならば健康な時に心や体の健康とお金や物を秤にかけて針路の選択をしている人がどれほどいるか? 疑問です。 

その選択を正しく出来る人は、今自分が健康である事への感謝を自覚している人だけです。

人は何かを犠牲にして、何かを手に入れる繰り返しが人生ですが、その岐路の選択次第で人生の彩りは変わってしまいます。

特に心の病は、狭い選択肢に囚われている自分に気付かずに執着して侵されますが、その執着を捨てるのが病気の人にはとても難しく、深く進行する前に執着を捨てることが出来ると心の健康を簡単に取り戻せます。 

昔読んだ本に書いていたのですが、自分のことが『わかられている』と感じるのが分裂病、『わかりっこない』と考えるのが躁鬱病、『わかってほしい』と訴えるのが神経症と有りましたが・・・こんな蟻地獄から抜け出す方策も自分自身を広い視野に引き出す以外に道はないのですが、私の場合は『どうせいつか死ぬ』が視野を広げる為の方策です。 

お金や物は死ぬと意味が無くなってしまうので、お金や物より、自分の人生を豊かにする選択の判断基準は『死ぬ時に楽しかった』と思える方です。  

犬が腹を見せるように生きると分裂病にならず、実は自分が一番自分のことを知っていないと自覚すれば躁鬱病にならず、人は他人の立場を判りたくないものと自覚すれば神経症にもなりません。

健康食品やサプリメントより、楽しい人と会い・手間暇かけた美味しいもので腹を満たし・それを消化し消費する運動で体を動かし・家の中を綺麗にし・音楽を聴いてリラックスする時間を作る工夫をして、まずは健康な精神状態にすることです。

心が健康でないと、やがて体は必ず不調を起こします