家族の同列化と不安。

最近の家族間のコミュ二ケーションの断絶とねじれの源に資本主義の過剰進行による弊害があるように思います。  

食べることに困窮した昔は、労働が食べる為の目的なのは家族全員が自明の事と理解していました。

サラリーマンが過半を超えた今の労働形態では、物の形として現われる製造業に従事している人より、情報・教育・医療など無形の第三次産業が増えて父親の労働の成果である物も、労働している姿の実態も見ていない家庭が圧倒的です。  そして資本主義社会の中で大多数の人が無意識の中で陥っている罠が、食べて生活していく為に働くことより、それ以外の消費目的の比重が大きくなり過ぎたことに気が付いていないでお金を求めるようになっている事です。 

豊かな消費社会は所得に占める食費の割合を低くし、その分の余裕のお金を快楽や物欲消費に廻しているうちに、消費することそのものが目的化してしまっています。 

そんな要因から生存への危機感は希薄化し、夫婦・親子・男女が対等・同列になり、全ての価値観が実態のあるものから実態のみえないものになり、知らないうちに見えないものへの不安と強迫観念に囚われている社会環境になっている様に思えます。 

その不安と強迫観念は人間の隠された暴力性を無意識の領域で肥大させ暴発した時に、現代に増大している家庭内暴力や家庭外暴力(犯罪・事件)になり、自分自身に向けられた時に鬱病や自殺になるのではと思います。 

父の仕事が見えて自分達の生存を維持してくれていることを肌身に沁みて育った時代と、現代のような過剰な消費社会の中で育っている時代では『なんの為に働いているのか』の問いもなく、その答えが自明でないことが問題なのです。