如何わしいものの真実。

震災・原発事故以後の議論では黒か白か、正義か悪かの二文法の議論が横行し定着し始めている今の世論に、未来への恐さを感じています。

極端から極端へ流れ、過去を全否定してしまう思考の蔓延では科学技術と文明の進歩も否定されます。 

過ちを繰り返しながら、そこから学び未来に繋げる姿勢を維持するには、良い部分と修正すべき点を分け、修正すべき点を克服する努力なくして人間社会と文明の進歩に繋がりません。 

石油やガス等の天然資源も有限とすれば、未来の人達の為に自然エネルギーも原発も克服すべきものとして捉える意識も必要では? と思います。 

銃や飛行機の発明以後、戦争での戦死者は劇的に増加しましたが今でも存在しています。 

害もあるけど益もあるからですが、原発の安全性や燃料ウランの処理をどう克服するか? の研究を世界規模でやってみる選択肢はないのでしょうか? 何事にも複数の評価軸を保つ事が、成熟した思考に繋がると思います。

地震が来ても内部は揺れない耐震建築技術が有っても、電力会社の利益優先の為に採用せず、事故によってそれ以上の犠牲とコスト負担になっています。 

車も飛行機も、全てのものが人間の便利さを優先し改良されてきた歴史と重ね合わせて、技術や頭脳は高度になっても退歩することなく発達させてきた事実の中に、人間だけが持っている特性が有るように思うからです。 

防御装置にも原発装置と同じくらいか、それ以上のお金をかけて、多様で完全なものに発達させることも選択肢と思います。 

人は新しい技術に対していつも『いかがわしい』目を向けますが、歴史的にみれば真実や真理は意外と『いかがわしい』ものの中に存在しています。