相対的優位。

最近顕著に見られる売り手の拝金的過剰な謙譲と、買い手の錯覚した俺様的な態度の光景に危機と嫌悪を感じています。 私はその中に潜んでいる病理に『相対的な優位』の快楽を求める風潮を感じます。

無意識ですが苦悩を伴う自分の能力を高める努力より、相手を劣位に貶める事を求める人が社会に蔓延し始めている危機です。

相手を劣位に貶める事で失うものは、その人達の自尊心や知的パフォーマンスや社会的使命感の低下として現われ、次第に大きな社会的損失として国力を蝕んで行く事に繋がって行きます。

成功や力やお金を求める傾向も、それに付随した社会での相対的優位の快楽に繋がる道ですが、そんなものが目的の人生では、いずれ虚しくなるのは必然です。  

家庭や会社や社会でも自分の廻りの多くの人達が高揚感や多幸感を実感し体験して生活している姿を見ている方が楽しい場所になると私は思っています。

偏差値も相対評価で、廻りの人の成績が落ちれば自分の偏差値が上がりますが、優劣の格付けの意味を現在のように取り違えて来たから、私達社会全体の知性や倫理が劣化したのだと思います。

どちらが上か? を端的にあらわすのが家庭や会社ですが、親や上司が部下や子供のパフォーマンスを上げる為にすべきことは『相手が自分の言う事を理解できるようにする為に、相手の理解度を確認しながら次第に複雑な方向に進める』配慮が必要で、そこには相対的な優位は存在せず、同じ目線による会話の中で理解した人が放つ頬の紅潮や目の輝きこそが今の社会に一番必要なものです。 

現代人は種の保存を最優先し、次世代を育てるという動物として本来持っている本能が劣化し始めているのでは? と最近は危惧しています。