共生。

娘が自立してから、家族形態の時代的変化について考えています。 

私の子供時代は封建的な家族形態が残っていましたが、高度成長と共に友達のような夫婦・親子が理想のように推移し、家長を中心にした親類関係も崩壊し始めていて、現代のような核家族になっています。

私は妻に出会った時『一人で生きていく自信がなかった』ので結婚をお願いし、七年後に娘が生まれた時の決意は『娘を一人でも生きていかれるように』でした。 

当時はこの矛盾に気付かずに親の役割に夢中でしたが、娘が幼稚園頃から実は娘に育てられている自分に気が付きました。 

その頃から自己矛盾に気がつき、娘に『生き延びる為の協力者を得られるような人間性を』と考えるようになりました。 資本主義社会は利益の分配獲得競争みたいなものですが、その社会でのゲームのルールを知性で獲得して『ありがとう』と言える社会性のある人間にすることでした。

核家族化はエゴを肥大化させましたが、家長を中心とした封建的家族の持っていた互助的なものを崩壊させた欠点も有ります。

動物が肉食と草食や、昼活動するものと夜行性に分かれて競合しないようになっているように、人間も競合しないで共生して生きて行く知恵が必要です。 

時代の推移で身に付け学習する中身も変化して行きますが、変わらぬものは他者への感謝と思いやり、そして競合する場所を避けて他者と同じ欲望に感染しない健全さが肝要です。 ひたすら競争と腐敗が進んだ資本主義もいつか? 賞味期限が来ると思いますが、どんな社会形態になってもお金や物より心強いものは、絶対裏切らないパートナーを持っている事です。 

そこにだけは『ふんわか』とした共生が必ず有ります。