楽しく過ごす大人の激減。

最近の日本人の傾向で気になる事は楽しそうに生活している人が激減していることです。 

親や先生や社会人の大人が活動的で楽しそうに仕事をしていれば、それを見ている子供達や若者は敏感に反応して『何が楽しいのかな?』と思って好奇心で眺め、真似をし活気づきます。 

知らないことを知る・出来ないことが出来るようになる快楽が生きていることの中で一番の楽しい事と感じさせる大人の減少は、子供達や若者にとっても危機に繋がると私は思います。 

子供は何事に対しても自らやってみたいという欲望を元々持っているのですが、その欲望を削いでいるものは親や大人が子供や若者に一方的に課す目標ではないか? と思います。 

勉強をしていい学校へ・スポーツで一流選手へなどとお金や地位を目標にさせて楽しくなくしているように思います。 

誰にとっても楽しい目標とは人生のスパイスですが、目標の選択は子供自身が決めるべきものです。  

子供達それぞれの欲望を起動させておけば、知った事を活用できた時に喜びに繋がり、スポーツでは自分がステップアップした実感に自信と快楽を覚えます。 

そこからは善循環が働き自ら目標というスパイスを子供達が自分で見つけて来ます。 

目標が高すぎて壁に当たり断念を余儀なくされても、そこから見えてくる等身大の自分を知ることは、背伸びをしない等身大の大人になって行くことに繋がり、実はその人の幸せに繋がっていると思います。 

私の若い頃の大人には何かと面倒を見てくれたり、薄情の情けで叱ってくれたり、陰で見守っていてくれて落ち込んでいると励ましてくれたり、本当の大人が沢山いて、それが次世代を育て高度成長持続の役割もしたと思います。

最近は部下の手柄を上司が自分の手柄にしたり、若者を自分達の目的の手段に使うように使い捨てにしたり、親が達成できなかった目的の手段に子供を使ったり、子供を親の所有物のように扱い虐待したりしています。

こんな事に心当たりがある大人が楽しそうに生活しているわけが有りませんので、『今の若いものは』等と言わず『今の若い者を育てた自分達の責任』から始める時です。