家庭内格差。

お金万能の資本主義の精神病理が家庭内まで汚染し始め、対価の伴うものだけに目を向ける弊害に拡大し、様々な事件や社会問題として現れて来ています。

社会的格差拡大は見えていますが、あまりに当たり前の家庭内の格差に気が付いていない人も多くいます。  

最小単位の家庭では対価の伴う収入を得るのは一般に男ですが、その男が毎日働きに行く環境を支えているのは妻の掃除・洗濯・食事などの対価の伴わない行為です。 

いつの時代も何処でも権力者は自由と権利を振り回し、義務と責任を服従者に押し付けるのは人間の性なのでしょうが、家庭内にも存在する格差で私が思うのは、家庭の中でも対価の伴わない仕事の妻に権力を振り回していないか? の反省でした。 

努力の努は『女の又に力』と書きますが、昔は如何に女性が努力していたか? を表わしています。

対価の伴わない小さな毎日の積み重ねの妻に先立たれた男の弱さを沢山見て来て、日常の細やかな事が実は家庭や社会を支えていると自覚させられます。 

その時代の先進的な職業に就いている人が高給になり、今はマネーゲームの時代ですが、人間の生活を支えているのは農業などの物作りが人間生活を支えているに似ています。

そんな反省を踏まえて、十五年ほど前から就寝前妻に、照れから時に慇懃無礼に時に軽い調子で『今日もご馳走様でした』と終わりの無い家事への慰労を言うと『お父さんもご苦労様でした』と返してくれ、意外な効果に前よりは楽しげに家事をする様になりました。

ちなみに怒りは『女の又に心』と書きますので、家庭の平和は女性の又(股)? と心に敬意を表して穏やかにさせることでは? と肝に銘じています。

歴史的に見たって正しい時代も無かったので、せめて家庭の中は公平に楽しくと思う此の頃です。