必要とされる喜び。

新興住宅街に多く見られる病は教育に熱心過ぎることですが、大麻も同じでした。

ここで育った一流大学出の人達も四十代になり、帰郷して話を聞いていると『こんなはずでなかった』という思いが伝わってきます。 

今の企業内の実態は、利益を上げる為に人件費が安いほど良く、焦燥感と不安感を煽って働かせているからです。

手口は『お前の代わりはなんぼでもいる』という雰囲気を漂わせ、同僚や仲間までもが疑心暗鬼になるような蟻地獄に落とし込むようにして過労状態に追い込みます。 

一生懸命勉強して最終的には所得が安定した一流企業へ就職することが目的化される背景には、もうひとつ『世間からどう見られるか?』という思いが、現代特有の土壌で育つ中で身体化されていることです。 

家・高校・大学・勤め先などが印籠(レッテル)として世間に評価される習慣で育つうちに、手段である印籠が目的になってしまい、自分自身の内部評価より外部評価の方が無意識に優先されて、そこから離脱する勇気も持てず気持ちが不安定になっています。

現代では『お金持ちになる』ことが成功者と思っているようですが、金持ちでも『幸せでない』人を私は沢山知っていますし、金持ちでなくても『幸せそう』で愉快に暮している人も沢山います。

お金を儲ける能力と人間性は別ものなのに、現代人は人間性よりお金を尺度に人を見ています。 

昔生きる目的を娘に聞かれた時の答えは、お金持ちになるとか偉くなるとか健康で長生きすることより『自分の人生を楽しむ』ことでした。 

大切な誰かの為と誰かの役に立つ仕事を通して、自分が必要とされる喜びと五感の楽しみです。