免許と車の取得。

朝夕の散歩時に住宅地を歩くと、一軒に二~三台の車が有る家も多く有ります。

タクシー不況やバスの客が少なくなり運行間隔が少なくなるのも頷けます。 

免許証が就職時の必須になり、親の負担で取るのが当然の時代ですが、私自身も親の援助で取得して失敗しましたので、娘には免許は自分が働いたお金で取得をお願いしました。

私は短大生時代に取得し、トヨタに就職し東京へ行き、二ヵ月後に寮の友人の車で事故を起こし、三年程は借財の返済の為だけに必死で働いた毎日でした。 

寮の先輩も乗せていて、怪我をさせた罪を問われ人身扱いの罰金も有りましたが、幸い軽いものでしたので精神的より金銭的な苦しみで済んだ事は幸いでした。

以後、営業の仕事の中で死亡事故を起こし交通刑務所に行った人も何人か目にしてから、危険なものや高額なものを手に入れる時は自分が汗を流したお金で手に入れるべきと思うようになりました。

たとえ安い中古車でも、自分が額に汗して手に入れた車には愛着があり大切にすることが実は安全運転にも繋がっています。

安易に手に入れたものは飽き易い傾向があり、無意識に粗末に扱っています。

つまり所詮、もらったものはもらったもので身に付いてなく、心の奥底では自分自身も満足出来ないのでは? と感じます。  

長い店頭生活で、親から家を買ってもらった羨ましい人が何人かいましたが、その後自分自身の収入で別の家を買ったり建て直したりしています。 

理由を聞くと、全員が自分の力で建てたかったからと答えましたが、解る気がします。 

人間は自分自身が義務と責任を果たして手に入れたものに愛着が生まれ、自分の心が満足するように出来ているようです。 

自分が汗を流したお金で免許を取得し、自分のお金で車を購入する事で愛着を感じ、その大切にする心が安全運転に繋がるような気が、私自身の失敗を通して思います。