価値観。

昔マスコミで騒がれた給食費や保育料を払わないで高級車に乗っている親を問題にしていましたが、そんな人はずっと前からいて健康保険料等未払いでもつい最近まで保険証を出していました。 

街の目立たない所に誰かがゴミを捨てると、次に通りかかった人もゴミを捨てて山のようになるに似て、何事も少数のうちに対処しないと問題の処理に多大な経費が掛かるようなります。

未払い問題なども、担当者は自分の配置転換まで請求の不快な思いから逃げていたのも事実で、義務と責任を果たしての自由と権利ですと言わず、双方向で無責任が蔓延した果ての結果が今の様々な社会問題になっているのだと思います。  自分に甘い人に限って人には厳しく、相手の脇の甘さにつけ込む傾向がありますが、自分に甘いのですから、欲しい高級車をローンで買い、無い袖はふれないと義務と責任はただ乗りを決め込みます。 

自分の心の貧しさを自覚せずに物を追い求めて空虚を埋めようとしても、欲しい物がエスカレートするだけ空虚さもエスカレートして麻薬中毒と一緒の悪循環です。 

しかし、一緒に育つ子供は全部見て育ちその文化も沁み込んでますので、いずれその子供から返り血を浴びますが、その時も悪いのは自分と気付かないほどにエゴが肥大している恐さを案じます。 

物の豊かさと共に日本人が失ったものが他者への情緒とプライドのような毅然としたもので、全ては人間性として表れています。  二十年程前に色々教わった人に言われたのですが『服装にも不動産等の家にも人格が現れている』の言葉は頭から離れません。

機能を優先しているか? 自己顕示欲を優先しているか? そんな事の答えを物語るエピソードが有りました。

私共のお客様で資産運用のお仕事をしている人が『本当のお金持ちほど、家を建て直さないで補修し、車は大衆車で度々買い替えたりしない、高野さんどうしてだろう?』と言ったことが有ります。

たぶん猫が背中を立てて威嚇するような必要がないからでは? と答えたのですが、なるほど人を噛み殺すような強い犬は確かに吠えないねー、と笑っていました。 

そんな出来事などから『何にお金を使うか? それはその人の価値観』と容認する言葉に疑問を持つようになりました。 

誰の為の何に価値観を置いて大切なお金を使うか? その行為の中そのものにその人の人間性が出ていると考えると、全てが納得出来ると思うようになりました。