還暦と米寿の思い出。

三年前の今頃、母が一月私は三月で米寿と還暦を迎えた記念に娘と妻の招待で一泊二日の温泉旅行に行き、四月春の支笏湖を楽しんで来ました。 

翌日はそのお礼にカニ料理を奮発して、四人で会話と美味を堪能しました。 

店頭で『歳を取るのは辛い』と嘆く人が多いのですが、いつも私の答えは『加齢と共に失ったものではなく、今残って有るものに感謝して』とお願いします。 

幼児期や子育て中に不本意ながら亡くなって行く人がいる事を思い、長生きした人の役目は別れの悲しさを引き受けることが必然で、だれかが誰かを思い繋がりあう事に、生きる事の一番の意味が有ります。 

歳を重ねることは肉体的な機能の衰えの自覚の連続ですが、歳を重ねて到達できる『知』も有ります。

いずれ誰もが老いて迎える弱者として生きる宿命と、未来の時間軸である死から今を眺め毎日を生きると、危うく不安定な同じ事の繰り返しの毎日に喜びと愛しさが感じられ、歳を取るのも良い事と思い至ります。

生きている時の繋がりを大切に生きることが、大切な人を失った後も、想い出をなぞる反芻で繋がって行けると私は思っています。

その旅行の車中で、母に永遠のものはなく限りあるから大切なので、辛い病を防ぐには嫌な人をなるべく避け、日常生活と食習慣に節度を持って、年齢にふさわしい役割を最後まで背負って生きることを続けるといい死を迎えられ、その死の瞬間は苦悩ではなく出産後のような深い喜びに近いものと思うと話したら、女房が『この人は詐欺みたいなことを時々言うから、お母さん気をつけて』と簡単に見破られました。